今日、花を買ってきました。

 

今日は野良で生まれ、野良で死んでいった

「幸太郎」の命日。

 

私の猫との関わりは

すべてこの「幸太郎」から始まりました。

 

今日は私と幸太郎の話を聞いてください。

 

犬にも猫にも全く興味がなかった私が

ある日近所でみかけた

幸太郎というクリーム色の一匹の猫。

 

ちょうど10年前くらい前

 ツキネコの吉井代表と会う前は

私は、ただの

無責任な 「エサやり」 でした。

 

近所でたまたま見かけた猫に

「幸太郎」という名前をつけて

ごはんをあげて

それで満足してました。

 

10年前といえば 全く

「TNR」という言葉も

浸透していなかったため

 

周りの友人たちも

「モグちゃんは優しいね」と

褒めてくれていました。

 

お互い無知だったから

無知同士の

とんでもない会話です。

 

今ならわかります。

自分がどんなに無責任で

ひどいことをしていたのか‥。

 

結局、幸太郎は私のミスで捕獲に失敗し

エサ場にも来なくなり

春に道で轢かれて死んでいました。

 

幸太郎には、おんなじ顔をした

忘れ形見がいました。

 

その忘れ形見を

何匹か拾ってくれた人は

 

居酒屋をやっていた旦那さんの死後

自身が多頭飼育崩壊となり

 

アパートを追い出され

家の猫のほとんどが

管理センターで

処分されたということです。

 

その中に幸太郎の子供たちも

含まれていたことを知ったとき

涙が枯れるまで泣いていた事を

今でも忘れません。

 

あのとき、幸太郎を保護して

去勢してリリースしてやれば

忘れ形見は 

生まれれる事はありませんでした。

 

もしもそれで

幸太郎が車に轢かれて

死んでしまうという

天命が待っていたとしても

 

管理センターで殺された

沢山の子達に

そんな残酷な運命を

与えてしまう事はなかったのです。

 

 

間接的に

ドリームボックスのボタンを

押したのは私かもしれません。

 

 

 今でも幸太郎の写真を見ると

ただただ申訳ない気持ちで

いっぱいになります。

 

「無知で ごめんね」と。

 

リリースというのは

避妊・去勢をして

その印として 耳をカットして

地域にかえすこと。

 

もしかしてその「さくらねこ」 たちが

車に轢かれたり、

虐められたりしているのを見ることに

なるかもしれません。

 

それでもただ死ぬためだけに

生まれた来る不幸な子を

増やしてはいけないと

思うのです。

 

来年のツキネコカレンダーの

「さくらねこ」の詩は

 

私の懺悔の気持ちが入った詩です。

 

 

 

 

 

桜の木のように

桜の花のように

 

やさしくやさしく

見守ってください

 

一代限りの尊い命の

さくらねこたちを

愛してあげてください。

 

 

 

日々、本当に勉強であり

自分に何が出来るか

考えさせられています。

 

幸太郎、ごめんね。

10年後に会いたかった。