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ぴなちゃん。愛しい息子へ。

 

4月23日

16時55分

私の宝物、ぴなちゃんが

逝ってしまいました。

 

11歳と10カ月。

急なお別れでした。

 

 

 

 

ひとは、本当にかなしい時

天を仰ぎ、

オオカミのように

吠え続け

慟哭し続けることをはじめてしりました。

 

 

子供のいない私たちにとって

ヒナから育てた

ぴなちゃんは

我が子そのもの。

 

 

 

 

テレビに出るくらい頭が良くて、

おしゃべりが上手だったぴなちゃんは

可愛くて

自慢の息子でした。

 

 

 

 

 

ぴなちゃんと会話した日々。

 

寒くないの?と聞いたら

「ちゃむくないよ」と

答えてくれました。

 

 

 

 

大好きなおとうさんとは

競馬を見ながら

嬉しそうに叫んでいました。

 

 

 

きっと、意味はわからなかったけど

ぴなちゃんは

大好きなおとうさんの肩に

乗れていたのが

嬉しくてたまらなかったんでしょうね。

 

 

おとうさんのことが大好きで

2カ月に一度

単身赴任先の

福島から帰って来た時は

過呼吸になるほど喜び

 

おとうさんが帰るまで

ずっとバッチのようにはりつき

 

おとうさんはトイレもいけず

家の中で

エコノミー症候群になりかけてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな眠くても

おとうさんの身体から

離れなかった ぴなちゃん。

 

 

 

 

世の中には説明できないことが

沢山あります。

 

今回4カ月ぶりに帰って来た

おとうさん。

 

そのおとうさんが帰る

前日の夜中に

うまれて初めての発作が起き

 

その時はすぐに

普段通りに戻りましたが、

 

1日おいて2回目の発作が起き

わたしの手の中で

深呼吸をしてから逝ってしまいました。

 

おとうさんが帰った

翌日のことでした。

 

 

頼りない私に

自分の心臓はいっぱいいっぱいだったこと。

発作も起きること。


それを全部みせて

なおかつ おとうさんの帰りを待ち

沢山甘えたあと

満足して旅立ったんだと思います。

 

亡くなるそのときまで

楽しそうにおしゃべりし

大好きなご飯をいっぱい食べて


苦しむことなく

私の手の中で旅立った

ぴなちゃん。

 

 

 

たくさんの幸せを

ありがとう。

 

ぴなちゃんが亡くなったあと


ぴなちゃんを福島に連れて行き

おとうさんに会わせて

あげました。

 

普段おとうさんは

台湾バナナみたいな指で

ぴなちゃんを撫でてましたが

 

 

 

最後もおとうさんの

台湾バナナの指で

撫でてもらえました。

 

よかったね。ぴなちゃん。

 

 

4月29日に

2人で福島のお寺で見送りした時

 

空は繋がっているので

札幌から・・

いや全国のおともだちが

 

ぴなちゃんに手をふってくれました。

ありがたかったです。

 

 

 

 

 

 

「はなくそぷー」と喋ってた

ぴなちゃんの可愛い声

忘れないよ。

 

  

 

 

いなくなったあと

もっともっと

大好きになっています。

 

今それがとても辛いです。

 

 
 

 

 

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テーマの著者 Anders Norén.